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報道番組の主人公達、
彼らもまた、私達と同様に学びを得るために生まれてきて
使命のもとで日々、淡々と予定の役割りをこなし、時を刻んで生きているんです、

全ての人がその使命のもとで今日の予定をこなし地球にその証を残すのです。

 

その決断が自分自身の意志とは裏腹の行動を取らされたり
罪の意識のもとで躊躇しながら犯罪に手を染めたり

思いもよらぬ言動で人を困らせてしまったり
世の中の常識、非常識のバランスを映し出してくれています。

 

これらが神的に決して赦されないものだとすれば、
私達は生まれることもなく、生まれてくる必要もなく。

それは犯罪を許すといった意味とは全く異なり、
罪を犯した人間を責めること以上に気づかなければならない要素があるから
その物事は起こり、目にしています。

 

私たちが何度も生まれ変わる意味と別の観点から解釈することが出来れば
どんな愚かな罪であっても赦しは存在し、

罪を犯した人間も生かされている間に償うことが出来れば神の赦しを受けることができ、
償いがなされなければ来世に引き継がれます。

そのシステムの中で今、私たちは存在しています。

そして、どんな罪を犯した人間も果たすべきことがあるから現在生かされています。