松は他の植物が育たないやせた土でも生命力を発揮する植物で、

冬にはあらゆる木々が葉を全て落としても松は一年中、緑の葉を身にまとい、

その生き様に魅了されてしまいます

  

松は孤独な木とも言われ、やせ地でも生き抜くはずの松が、

他の木が生息し始めるとまるで施すかのように生きられなくなるからで、

 

かつて人が沢山の木を伐採し、低地の広葉樹林を破壊してしまった時、

赤松が日本各地に増えたことが記録に残されています。

 

破壊された地で、他の木が生息できなくなっていった時にその生命力を発揮し、

緑を絶やさずに日本の地を守り抜いてくれた松の存在は、

震災や貧困などで荒れ果ててしまった地でも最初に芽を出し、

人の心を勇気づけてきました。

 

 

私たちの先祖はその尊き姿を心で感じ、

神聖なるものを感じとっていたのかもしれません。

 

伐採されかけた長寿の松を命がけで守ろうとした人達がいました。

日本各地の松を守りたいと財産を投げ打った人もいました。

それほどまでに人の心を魅了し、強い心を抱かせてくれる松の存在。

 

生き様から人との繋がりにいたるまで、神を感じさせてくれる木。

 

時代が変わっても生きていくことは楽ではないけれど

松はいつの時代もずっと見守り、支え続けてくれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神社仏閣の庭に植えられ、柱として用いられ、

正月の榊に松を添えるのもめでたい象徴としてだけでなく

邪気を祓う為とも考えられています。

 

 

家の庭に植えられた赤松と人気の少ない山で育った赤松、

神社の赤松はそれぞれ味が異なり、土の違いだけでなく

その空間の氣の違いも少なからず関係していることでしょう。

 

 

邪気を一切纏わずに生きることは、神の領域でしかなしえないことでしょうから

学びを受け取りながら生きていくには邪気を纏ってしまう時もあり、

そんな時にも松は私たちに力を貸してくれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


効能が高い薬草や漢方などは苦みや癖があったりしますが、

松葉茶はその反対で口当たりが軽いのが特徴です。

 

体調を崩して通常の食事が摂れない時でも

すっと優しく体に入っていきます。

 

 

思考が重いと纏う氣も重くなってしまいますが、

松の軽やかさは、心身ともに軽くしてくれるかのようで

松葉茶をいただく時にはそんな松の優しさも感じてみるといいですね。

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

松の赤ちゃん

  

松ぼっくりの中に身を隠す種を土に植え、毎日お日様に当て、

土を湿らせておくと、20日程過ぎた辺りから芽が出始めます。

 

 

 

 

 

コーヒー豆のような種を頭に背負いながらニョキニョキと土から顔を出し、

毎日数ミリずつ成長します。

 

 

 

 

 

 

更に3日ほどで種の下がラクビーボールのような形に膨れ、

種がポロッと落ちると、そこが松の葉っぱとなって開いてきます。

 

 

 

 

 

 

少しずつ手を広げるかのようにのびのび成長していく姿は、

小さいけれど決して弱々しくはなく、

風に吹かれても倒れることもなく上に伸び続け、

赤ちゃんでも逞しく愛しさに溢れ、元気を貰います。

 

松の成長を見守りながらも、その心に応えてくれるかのように

毎日沢山の感動を与えてくれますよ。