尊き松の存在
古来から松の存在は、人の手によって大切に保護され、生育を広げてきました。
建築材や家庭燃料、暖を取るなどに使用され、生活において欠かせない存在であった松が、
昭和30年頃から電気やガスなど生活形態が変化したことで松の消費率は減り、
昭和50年代には松くい虫により大量の松が枯死してしまいました。
それは人間が森林に手を入れなくなったため、
松の生育環境が悪くなったことが一因と考えられています。
森林に手を加えるとは、森林を伐採することで地面に日光が当たるようになり、
小苗に太陽の光が注がれるようになり、
また他の樹木の草木を刈り取るなどして、松は生育していきます。
その松からまるで恩返しを受けるかのように、私たち人間も松によって
病から助けられたり生活の必需品として、互いに助け合い共存し合ってきたのです。
松の歴史を辿れば、松の存在は生活以外にも大きな存在であったと言えます。
その松が毎年枯れていっており、赤松林の荒地化も進み続けています。
どんなに生活が便利になったとしても、私たちは自然によって生かされていて、
森林によって、私達の生活は守られています。
木が二酸化炭素を吸収、貯蓄することで、地球温暖化防止となり、
根や落葉が水を蓄え、徐々に排出することで、大雨の被害を防げ、
木の根が大地を押さえていることで、土砂崩れ防止にもなっています。
国土の約7割が森林である世界有数の森林大国である日本。
先祖がずっと守り続けてきたお陰で、今の私たちの安全な生活が存在し、
それをこの先も何百年、何千年後にも繋げていかなければなりません。
経済的効果がある材木だけでなく、日本人がこれまでの歴史の中で守り続けてきた
守り通さなければならない樹木があることも知っていただきたい。
<参考文献>
森林・林業学習館ホームページ/有岡利幸 著者 「松と日本人」 より
以下は、須山定義・北川泉 著者 「松と日本人」 (平成元年発行) より抜粋。
松は一般に杉や檜に比べて天然更新力が強く、乾燥にも耐える陽樹で
花崗岩の風化土壌などのやせ地や火災跡地など他の樹種が生育しないような
土地でもよく優先種になる。
松の特徴は、水に大変強く、出雲では水道管に生松の赤味を使用していた。
杭に使用しても水気のある場所に強く、乾燥地では長持ちしない。
昭和10~15年頃には舟材として使用されていた。
針葉樹の中で燃やして最も火力が強いのが松であることから、
古くから家庭用の燃料となり、たたらや製塩、窯業などに大量消費されてきた。
材木といえば、ヒノキやスギ、ケヤキなどがよく知られているが、
マツも材木としても使用されてきた。
例えば、島根県松江市にある神魂神社は、1346年に建立され国内では最古の大社造り
とされており、その社殿(国宝)の柱、床、階段が黒松で作られている。
出雲大社本殿にも柱が左右6本の高さ八間半(約15.3m)の直径二尺四寸四分
(約7.3cm)と、前後中央の中柱が八間半の二尺八寸の白太を除く丸木中味材の松の柱
(出雲地方産出の黒松のようである)によって建築された。
松の銘木として評価を高めたのは、新宮殿の造営に松が大量に使用されたこと。
マツは材木としても大きな役割を担ってきた。
松は、樹齢が2、30年になると根元に松茸などの菌が増えてくる。
その後数十年はキノコを生やす時期で、毎年少しずつ拡大するが、
松茸が出なくなると菌は死んで残骸が灰のようになって残る。
すると、水通しが悪くなってその下の土壌は変化して松の勢いをそぐ結果になる。
松の樹齢が50年過ぎると菌も変化してシロ(菌のつく場所)がなくなり、
松林の下にはウルシなどの落葉低木やヒサカキといった常緑低木、シイなどの
高くなる常緑樹も目立つようになる。
7、80年になると、赤松の劣精木は間引かれたように少なくなって、
松林は明るさを増してくるが、それによって林に混在していた広葉樹が勢いづいてくる。
樹齢100年になると赤松と広葉樹との混交林となるが、赤松は次第に減り
反対に広葉樹の方が勢いが良くなる。
赤松は200年くらいで多くは老化、枯れ木となってゆく。
赤松林の森林の生態系がゆっくりと進化、変化するに伴って赤松の生存に合わなくなってくる。
同時に松どうしの競合といった面も見られるようになり、生き残った松はヒョロ長で
枝葉が上まで枯れて風雪に弱くなる。
それらの淘汰に耐えて、300年〜500年と生長した松は赤味の多い銘木となるのである。
※出雲大社は60年に1度遷宮が行われ、2013年(平成25年)に御本殿は
新しくなっておりますので、現在も松が使用されているかは不明です。
#松#赤松#森林保護