ヤマトタケルと松


「古事記」には、倭建命(やまとたけるのみこと)が松をうたった有名な歌がある。

 

尾張に 直に向へる 尾津の崎なる 一つ松

あせを

一つ松

人にありせば 大刀佩けましを 衣著けましを

あせを

 

<訳>

尾張国に向かって、まっすぐに、枝をさしのべている尾津崎の一本松は、親しい友。

一本松よ、人のすがたであったならば、太刀を佩かせ、

りっぱな衣を著けてあげることができるものを、親しい友よ、

というのであろう。

 

 三峯神社 ヤマトタケルノミコト

 


倭建命は、父の景行天皇からの命令で、東方一二道の荒らぶる神、

心服しない人たちを説得して、大和国と平和条約を結び、科野国を超え、

尾張国を経て、愛しけやし吾家へと帰る途中であった。


空を飛んで帰りたいくらいの心はつのるが、伊勢国の尾津崎の一つ松のところへ、

ようやくたどりついた倭建命の足は、疲れきって、

とぼとぼしか歩けない状態であった。


一つ松は、東国へ行く途中、かつて食事をした懐かしい場所であった。

そしてそこには前に忘れていた太刀が失われず、そのままあった。

倭建命は感激して、この歌を詠んだと「古事記」はいう。

 


太刀を忘れるとは、およそ英雄らしからぬへまをやったという見方もあるが、

この一つ松は多くの意味で、神の宿る神木であったとみれば、

倭建命が太刀を一本松の根元に置いたまま、

旅立った意義がわかろうというものである。

 

 

有岡利幸 著者 「松と日本人」 より

 

 出雲大社 ヤマトタケルノミコト

 

 

 

#松#赤松