江戸時代の森林保護

 

徳川幕府のもと各藩とも山林資源の保護、育成に努めたとある。


当時はマツ、スギ、ヒノキ、ケヤキ、ツガ、サワラ、モミ、ウルシ、キリ、

クスなどが禁木とされ、特に木曾の五木とされるヒノキ、サワラ、

アスナロ、コウヤマキ、ネズコを盗伐した者は打ち首、枝木を伐った者は

片腕を落とされたと言われている。

 

承応三年(1654年)の大洪水と凶作は、洪水の原因が山の荒廃にあるとして

治山治水の重要性を説き、山林の乱伐禁止、建材などの等級、薪炭の節約、

大自然の摂理に従った山林の取り扱い、時をえて山に入るようにとされた。

 

ある藩では一つの山を20ブロックに分け、毎年1ブロックの20年生ぐらいの

広葉樹の木を伐り、薪炭として売り、これを毎年繰り返すことで、

山林を荒廃させることなく保たせることが出来たとある。

 

 

活用するだけでなく、如何にして森林を守るか当時も深刻な状態で

あったと思われる。


現在は、その逆ともいえる活用されないことによって、

森林が荒れ地化が進んでいる。

 

 

参考文献  須山定義・北川泉 著者 「松と日本人」 より

 

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