木の神秘 

 

 木という生き物の神秘をとらえようとして調べていくと、数多くの魅惑的な循環に導かれます。

木はその根を張りめぐらしながら、わたしたちの知らない闇の世界と結びついています。

木はこの闇の世界に深く根を張り、その領域を変えながら、その世界にあるものと自分が生み出すものを交換します。
そして暗い地中の領域と一体になりつつも、その幹はまったく別の領域の中へと伸びてゆきます。
木は葉や花や実をつけた枝を天に向かって、光や太陽に向かって伸ばしてゆくのです。

 


葉は地中の根とはまったく対称的に、光や空気、風や雨などと自分が生み出すものを交換します。
それは物質的、化学的次元では、空気中の二酸化炭素を吸って酸素を吐き出すのですが、感覚的、精神的な次元では、
その形や色、葉ずれの音などで人間や動植物の知覚の世界に影響を与えています。

 


天の軽やかで明るい開放的な力は、樹冠の葉や枝によって取り込まれます。
この力は幹と根を伝って天と対称的な領域である地中に達し、酸素と豊かな生命力が、根の張りめぐらされている深い地層へと届けられます。
そして、この豊かな大地の生命力によって、老いた大木の種子はふたたび発芽し、
光や太陽に向かって伸びてゆきます。
こうして一つの循環の輪が結ばれるのです。

 

 


一本一本の木の生い立ちは、地中の暗闇に光をもたらし、天の軽やかな力をしっかりとした形に変えていく大自然のドラマです。


天のエネルギーは木を通して地中に流れ込み、そこで暗闇と光が互いに溶け合って、一本の木がまさに木としていきられるようにしています。


木の生命 ―――生きている木は、単に木材の細胞を増やしたり生物学でわかっている一連の反応を起こしたりしているだけではないのです。

みごとな循環、正反対のもののぶつかり合い、緊張関係、律動、バランスをとる動きや振り子運動といった
多くのものが木の神秘としてその背後に隠れています。


一本の木を伐るということは、木を根絶やしにすることとは違います。木の破滅は、その神秘的な働きが損なわれ、
「絶え間のない循環」とか「木を通して天と地が結びつく」といった考えが消し去られることで始まります。

 

(上記は、著者エルヴィン・トーマ 「木とつきあう智恵」より一部分を切り取って抜粋しています。)

 

 

 

 

 

木は、陰と陽の相反するものが混ざりあって一つの生命として生きています。

そこに私たちの生きる見本となるものが存在し、木を感じることで学び取るものがあり、
人間関係、心、争い、「陰」と「陽」が混在するもの、すべてにおいてその答えが
そこに隠されているのかもしれません。

 

神なる力を受け取ったり、木から学びを受け取れるようになるまでには
何年も長い時間を費やすかもしれません。

しかし、生きる生命力や心の浄化には少しの期間でそれを得ることができます。

 

 

木は私たち人間が心を通わせようと思ったら、いつでも寄り添ってくれます。
それはまるで神なる存在が形として姿を表してくれているかのようにも思えてきます。