自然の偉大さ

 

 

人間関係に疲れたり色んなことを考えすぎて頭が難しくなってしまった時、心が病んでしまった時は、
大きな木がある所、もしくは木がたくさんある森林で生気を取り戻してください。

 

人生に疲れきってしまったり諦めそうになった時は、樹齢300年以上の大きな木の側で
しばらく充電させて貰うと元気を取り戻すことができます。 

そこにいるだけで体が軽くなっていくのを感じることが出来るでしょう。

 

私たちはまだ木の不思議、木が持つ凄い力を知らない人が多いのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

『 木はある程度大きくなって成長するにおいて安定するまでは自分の為に一生懸命生き、

安定したら今度は周りの木々たちに根を伸ばして栄養を与える側になります。

山や森林の中でもひときわ大きな木は周りの木々に沢山のエネルギーを注いだ木で、

エネルギーを分け与えようと思ったら、多くのエネルギーが必要になります。

その分、天から降り注がれるエネルギーをたくさん受け取ることになるので、自分自身も大きく成長していくのです。』

(エルヴィン・トーマ氏のお話)

 


これは人が幸せになるコップを満たす話によく似ています。

 

自分のコップにまだ水が満杯でない状態で人に水を分け与えれば
自分のコップの中の水が減り、減った分の水を増やそうとします。

それを繰り返していては、いつまで経ってもコップがいっぱいになることはないから自分の心は不安定な状態が続きます。

自分のコップから水が溢れ出た時にその溢れた水を人に与えてあげるようにすれば、
自分の中の水は減ることがないので、不安に陥ることもなく人の幸せを心から喜んであげることができるというお話。

自分のコップが満たされた時、他の人に分けてあげることで与えられる水が増していき
受け取る器も大きくなっていくことでしょう。

 

木も人間も生きる過程において同じで、木は私たち人間に生き様を示してくれているかのようです。

 

 

 

 

 

 

  

木は1本1本それぞれ性格が異なり、成長過程で大きなストレスを受けた場合は
幹が湾曲していたりコブのようなものが出来たりとその生き様が刻みこまれていくのだそうです。

 

樹齢300年以上の木ともなれば、その時代のその時々の変化に適応しながら成長を遂げ、
その立ち振る舞いは他の木とは異なり、人間の力だけではビクともしない堂々たるものです。

 


かつて私達の先祖が命をかけてでも守ろうと思ったご神木の存在であったり、
さまざまな宗教において生命を象徴する存在として伝えられていたり、
日本でも神聖なる力を得る為に山修行を行ってきているのは、木には神秘的な力が存在するからだと考えられます。

 

 

 

 

 

 

猛暑でも極寒の冬の間も一年を通して青々とした葉を身に纏う松の木は、
かつて、私たち先祖にとって生きる見本であり、苦しい時でも生きる力を与えてくれる存在でした。

木は常に周囲の動物、昆虫、そして私たち人間と共に生きています。

 

有名な陸前高田市の奇跡の一本松も東北大震災で襲った大津波に7万分の1の確率で絶え抜き、希望と再生、復興の力を与えてくれました。

学校の校庭に立っている大木が廃校後に枯れてしまった話など、木が人間と共に生きていることがわかります。

 

 

 

 

 

 

 

人間も動物も植物も森林もみな関心を抱かれなくなった時、エネルギーの循環がなされなくなった時にその生命力は薄れていきます。

自然を愛し、森林への関心が高まり、そこからいただいている大きな恩恵に気が付く人が増えていけば山や森は再生し、
そして木を日常生活に取り入れることの意識の高まりが自然と共存していくことに繋がり
その循環が行われていくことこそが、自然との共存、地球温暖化の軽減、地球の再生に繋がると考えられます。

 

長年忘れ去られてしまっている自然への恩恵をこの時代で再び取り戻すこと。

その学びの最中に私たちは今、立っています。