
「奇跡の一本松」

岩手県陸前高田にある高田松原は、東北大震災が起こる前はおよそ2kmにわたって続く松林で、
300年以上前に2人の村人が私財を投げうって防潮、防砂、防風の為、植林されたものでした。
その後、三陸沿岸には1896年明治三陸地震津波、1933年昭和三陸地震津波、1960年チリ地震津波など
何度も津波が襲来し、沿岸住民に多大な被害を及ぼすとともに松も枯死するなどの被害を受けてきましたが、
「奇跡の一本松」はその度に津波被害を乗り越え、生き残ってきました。
赤松と黒松の交雑種(アイグロマツ)で、高さは約27.5m、幹の直径約90cmだった「奇跡の一本松」は、
高田松原内の周囲の老齢の松に比べてもとりわけ大ぶりな松の木だったといいます。
2011年3月11日東日本大震災によって、およそ7万本あったと言われる赤松、黒松が根こそぎ波にさらわれ、
砂浜も1m近い地盤沈下によって失われ、そんな中で唯一、葉をつけたまま折れずに残ったのが、
「奇跡の一本松」でした。
一本松は塩害によって傷み、一本松の姿を励みとしていた多くの人達がその復活を願って、
生命維持の為に損傷部の治療や改良土の覆土、塩分濃度が高くなった地下水くみ上げなど地道な作業が続けられ、
一時(同年7月)には新芽が確認されていましたが夏場の高温や乾燥によって傷みが進み、
10月に根腐れが確認され、12月に枯死が発表されることになったのです。
一本松の保存
保存のため力になりたいという声が多く寄せられていたことで、陸前高田市は
「一本松の実物を、できるだけ現状に近い姿で現在の場所に自立させる」という条件に基づき、
「奇跡の一本松」のレプリカが立てられることになりました。
2012年(平成24年)9月12日に多くの住民や市外からの来訪者らが見守る中、一本松の伐採作業行われ、
同年12月の伐採作業では、地表部分からの根の深さは約1.6メートル幹を中心とし直径13メートルにわたって
根が大きく張った状態であったことから、これまでの大津波に耐えることができたことがわかりました。
樹齢は173年だったことも判明し、長い歳月をかけて陸前高田のまちと高田松原を見守ってきたのでした。
その後、入念な3D測量が行われ、枝葉の角度なども慎重に照合された「奇跡の一本松」のレプリカが現在立っています。

伐採された幹は、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロが数挺ずつ製作され、コカリナの楽器も作られ
市内の小学校に贈呈されたり、著名な演奏家たちによって各地で支援コンサートが開かれました。
また世界的なメーカーであるモンブラン社が、万年筆を制作されたり
有志によって、一本松の木片で2つの十字架が製作されました。
その十字架は2019年にフランシスコ教皇(法王)が来日した際に祝福を受け、
二つのうちの一つは陸前高田市に、もう一つはカトリックの総本山であるバチカン市国に安置されています。

一本松に寄せられた善意
奇跡の一本松保存に伴なっては、国内はもとより海外からも多くの寄付金が寄せられ、
当初費用として見込まれた1億5000万円は、募集開始から1年足らずで到達しました。
寄付者からは「震災を伝えるため、被災地の希望をつなぐため、永遠に残してほしい」
といった思いがつづられた手紙などが一緒に寄せられることも多く、世界中の人々がその再生に関心を寄せました。
「アンパンマン」の生みの親である漫画家のやなせたかしさんは、オリジナルソング「陸前高田の松の木」や
一本松をモチーフに描いたハンカチを製作し、陸前高田に寄贈され、
被災して避難所生活を送っていた女性たちが、ストラップやタオル、缶バッチ、ステッカーなどの一本松グッズを作り、
その売り上げを市へ寄付するなど保存再生へ向けた動きは、地元・陸前高田の人々の「心の復興」にも
大きな意味を果たしていきました。
一本松の後継樹生育
一本松の接ぎ穂や松ぼっくりから採取した種から育成がされました。
一本松から接ぎ木した松苗は島根の出雲大社に贈られ、
友好都市である名古屋市にも後継樹が植えられました。
高田松原は震災前から保全活動に取り組んでいた「高田松原を守る会」によって震災直後から
苗を育て、苗木を強風から守るための竹簀(す)を何万枚も作ったりと地道な活動を展開され、
その多くの活動に県内外からのボランティアが継続的に協力されて2017年(平成29年)に高田松原再生植樹祭が始まりました。
東京都の一般財団法人などと連携して3年かけて9000本余りの苗木が植えられ、復興工事や
新型コロナウイルスの流行など1年以上延期されたりしながらも残りの900本余りの苗が植えられました。
また世界中の方々の支援を受けながら累計4万本の植樹がなされ、
かつてのような光景を取り戻そうとしています。
一本松の遺伝子を持つ後継樹たちも、すくすくと育っています。
2013年(平成25年)6月に、モニュメントとして復活を果たした一本松。
その姿を一目見ようと陸前高田を訪れる人はあとを絶ちません。
(陸前高田市 一本松記念館より)

一本の松が多くの人に復興・再生に向けて希望を与え、世界中の人の心を揺さぶり
人との間に深い絆のようなものを残してくれました。

現在の高田松原を訪れてみてください。
その居心地の良さに驚かずには居られません。
かつて多くの命が失われ、その報道を目にした私たちの記憶は未だ鮮明です。
ですが、被災した人達に祈りを捧げる為に多くの人が訪れ、「奇跡の一本松」の復活を願ったり保存に尽力し、
高田松原の再生にたくさんの時間と努力がなされたことなどによって現在のようなイヤシロチになっていったのだと考えられます。
人の思いと自然との調和の凄さがここに存在しています。
高田松原に身をおいていると、体の細胞が再生されていくかのような癒しの波動に包まれます。

