
野生動物との共存
秋になると熊は冬眠に備えて脂肪を蓄える必要があるため、
ドングリやクリ、ヤマブドウなどの堅果類を集中して食べます。
しかし近年木の実が不作となり、冬眠に備えることができない熊が食べ物を求めて人里に降りてきている。
このことに人的被害だけを考えるには、安易すぎだと思いませんか?
山全体に異変が起きていることを野生動物を通して教えられていることに気づかないともっと大変な時代になっていくでしょう。
人間の命を守るために熊の命を奪うことを続けていけば、
熊が身を守るために人間を襲うことも日常化していくでしょう。
身の危険にさらされている人達の為にも対策を見直すべきではないでしょうか。
野生動物が求めていることは、我が身を生かし子孫を残すということに他なりません。
そして山における生態ピラミッドの頂点として熊の存在は森の健全性を示す役割を持っており、
熊の糞が種子を広げたり、山の中でなされている循環を理解して対応していかないと
自然の摂理を壊すことになり、今後ますます人が生きていくことが厳しい時代を迎えることになってしまいます。

山の異変
山では森林荒廃が大きな要因となっていて、その原因を探っていくと
戦時中に鉄や金属資源が足りなかったことで、船や航空機が木材で作られ
全国の山林や平地の巨木・大木が大量に伐採されたことや戦後の住宅復興においても広大な原生林が伐採されたこと、
その代わりに有効活用できるスギやヒノキ、カラマツなどの単一の針葉樹の造林がなされたことにあります。
その後も高速道路やダム建設の為に多くの森が切り崩されていきました。
広範囲に渡る原生林が壊されたことで実がなる広葉樹が減り、
野生動物に限らず山の生態系に大きな変化が起きています。
人が一度手を加えた単一針葉樹は、現在荒地と化しており、それは
生活の中で木が欠かせなかった時代から代替品となるものに変わっていったことで
木材需要が激減し、木材輸入の自由化もあり、林業が衰退していったためです。
持続可能な森林管理を行う山師の存在や林業に携わる人達が減り、広大な人工林は放置され荒廃しています。
人間が一度手を加えてしまった森林は原生林とは異なります。
その土壌や気候に適していない木が植えられ、自然の摂理に適っていないことで木の性質や成長に表れ、
地中に張る根の張り方によっては、土砂の崩壊や流出が起こりやすくもなります。
この先も経済重視により原生林を伐採し続けていけば、温暖化は益々深刻化していくことでしょう。
かつては大きな杉の木で囲まれた家が多く見られましたが、現在ではそれも少なくなって
新たな建築がなされる時に用途がなくなったとみなされた木がどんどん伐採されています。
見た目のためだけに植えられた木と違って、「木の恩恵」をなくした跡地に建てられた家や企業が
栄えることがないのは言うまでもありません。
過去の過ちに気がついてその学びが引き継がれていますが、
温暖化においてはまだそれがなされていないのが実情です。
現在荒れ果てた地は、単一栽培ではなく針葉樹と広葉樹の混合林をつくって
かつての原生林に少しでも近づけていくことや、野生動物たちが生きていける策と
人間が立ち入らない領域の確保も必要です。

2012年に環境省は、九州のツキノワグマの「絶滅」を宣言しました。
過剰な狩猟と、人工林の増加や山が分断された地形など、クマの生息に適さない環境が主な理由とされています。
熊が絶滅したことで現在ニホンジカの食害による植生の変化や土壌侵食などが起こっています。
四国ではツキノワグマの生息数は極めて少なく、徳島県と高知県の県境に広がる剣山系周辺のみで
数十頭と推定されるほど絶滅寸前の状態にあります。
それも過剰な駆除と生息環境の破壊、経済重視の林業によってクマの餌となる広葉樹林が伐採され
針葉樹に変えられたためです。
2018年から四国では全国のクマ研究者や自然保護NGOによって保全活動が開始されました。
環境庁によるクマ類の捕獲数 ← クリック
一方、島根県と長野県においては、ここ近年においても非捕殺数の数が数十件みられます。
この数十匹の命を生かすために捕獲にあたった人の思いや注がれたもの、
不安な中でも殺処分ではなく山に逃がすことを承諾された住民の方の思い、
一匹の命を救うためにどれだけのものが費やされたかを考えると、その行為はとても尊く
それは人間が考えている以上に野生で育った動物であっても伝わります。
何よりそれを山の神もみているということ。
私たちは動物の肉(命)をいただいて生きていますが、有り難く命をいただくことと、
正当防衛でもなくただ無駄に命を奪うことでは、まったく異なる行為です。
ここ数年の熊の繁殖増加においては、動物には危機管理能力のようなものが備わっているので
生命の危機を感じ取れば、子孫を残そうとする本能が働くでしょう。
お互いが安全に暮らしていけるようにする方法として、
標高800mという動物が安定した周波数を受け取れる地を境界に
動物の餌となるものを与えて人里に降りて来なくて済むようにしてあげること。
これまでなかったことが起こるようになっているのであれば、
そうなった原因を回避することが必要になります。
かつて野生動物と共存してきた地域があったように、
人間も「山に入らせていただく」といった姿勢が必要なのだということを
私たちも学ばなければならないのではないでしょうか。
明治から始まった自然破壊は現在の私たちの生活を脅かし、温暖化の影響によって、
米が不作になったり魚が捕れなくなったり、農作物が育たなくなったり、
大きな影響を受ける中で、この先外に出ることさえも厳しくなると言われています。
人が行った結果が何十年も先に形として表れていることを考えれば
現在の私たちの生き方も考えなければならず、
石油を使わないで済むように自然エネルギーに変えていこうとしている企業がいる中で、
原生林を増やすことや木材を使用した循環していく方法に変えていくことは、
消費者である私たちが選ぶもの、必要とするものを選択していくことで変わります。
体にいいものや無添加・無農薬で作られたものが出回るようになったのと同じく
私たちにとっても大切なものを知って選択していくことで、
私たちはより快適に、そして自然の摂理に乗っ取って循環がなされていきます。
山の神の眷属である熊が教えてくれていることをもっと大きな視点から
捉えて対応していく必要があり、
あらゆるものを創り出してきた人間が次に創り出すものが、
自然と調和していくためのものであれば地球はもっと豊かになるでしょう。