
魂と霊
魂とは、人間の下腹に宿っていて、心とは別のものです。
本当の自己のこと、超己(ちょうこ)とも云い、自分を超えた自己のことで神に近い自分があるという意味です。
魂は、心と同じもの、あるいは心より深いところの真の心といった意味で一般的に使われています。
しかし、心とは別のもので、脳との回線はつながっていないのです。
心は何を考え、何を想っているか、自分の頭脳で解りますが、自分の魂であるにもかかわらず、
まったくといっていいほど解らないものなのです。
この魂を理解したいと思ったら、肉体から抜けて霊に変化し、精霊界(神の世界)にいくことで
神と対話ができ、そこで初めて自分の魂が何者かがわかります。
しかしそれでは何のために現世で生きてきたのかわからなくなってしまいます。
生きていながら、自分は何者なのか、どこから来たのか、何処へ行けば良いのか、
本当の自分の人生を歩むことを理解するには、仏教や神道を学ぶ必要があり、
仏教では釈迦の説いた般若心経、神道では陰陽道になります。
修行をすることで、このこれらのことが解ってきます。
魂が解ってくれば、天地の働き、時間の進退を感じとり、読み解くことが出来るようになるのです。
魂とは、真の自己であり今まで知らなかった自分を超えた自分がおり、
その自分は神と通じ合える霊の存在だということです。
神と同じ立場で神と会話が出来る自分を発見することができるのです。

今までの慣習で心で思う事や脳で考える事は、我の自分が行ってきた方法論でしかありません。
自分は正しい事や常識的な事としてやってきた事は当然のことと想っても
他人から見れば、人はそれぞれ考えや想いが違うから、
なかなか問題の解決を見つける事が難しいでしょう。
価値観が違うとか、人生それぞれとか、これを三次元的な見識と云います。
昔から大事な物事は「腹でみよ」「腹で聞け」「頭で考えるな」と云われてきました。
このことは、「正しく、魂でみよ」「魂で決めよ」といっているのです。
これは四次元の感覚で三次元の俗界と異なり無量界とか、太極界とも云います。
三次元の俗界では五感覚によってすべてを識別したり、判断を下したりしますが、
四次元界は七感覚で識別します。
つまり肉体を持つ目や耳ではなく第三の目、第三の耳のことで、天の目、天の耳とも云います。
魂から発する波動によるものです。
魂を語る時は、八感覚が解らなければなりません。
八感は七識を観るエネルギーで魂力のことです。
したがって自己の魂を磨かなければなりません。
磨くとは修行を重ねることを云います。
磨かれた魂は生きながら霊魂となり、神の世界、
云い変えれば、大自然界の波動と繋がるのです。