神仏習合の存在

 

 

神仏習合の始まりは定かではありませんが、江戸時代後半まで

神社の境内に寺院が存在し、日本元来の「自然信仰、神を祀る信仰」と

他国から伝来した「仏教」が合わさった神仏習合の考えは

明治政府による神仏分離政索がとられるまで長期に渡り続いてきました。

 


仏教は宗派によって考え方が異なるものの、苦しみは欲望、憎しみ、

執着などの煩悩によって作られ、そこから抜け出す為に悟りを開き伝えられ、

私たちの祖先が長年護り続けてきた学びには、日常起こる物事や苦しみから

解放してくれる教えが存在し、日本は神の存在と仏の存在によって

護られてきたのです。

 

 

明治元年(1868)3月政府が出した「神仏分離令」は明治5年には停止になりましたが、

壊された寺院や廃寺となった寺は数多く、野仏の首切りや寺の木像仏は焼かれ、

坊主の殺戮など愚かな歴史があったことも知っておかねばなりません。

 

 

その後数々の戦争が引き起こされ、日本全体が大きな被害を被ることになったのは、

直接的な関係性がなくても決して犯してはならない過ちを犯したことによって招かれ、

戦争は決して犯してはならないという学びと共に、神仏の存在も日本にとっては

欠かしてはならない存在なのです。

 


神仏の学びに反る世の中になり、その怒りが限界を超えた時、

再び日本は危機的状況に陥ってしまいかねず、

そうなった時でも神仏を信じ、学びに沿った生き方をしている人であれば

如何なる状況であろうと助けられます。

 

 

形式にこだわることなく、お金をかけることもなく、信仰心というのは

ただ自分が信じるものを信じて心を磨き続けていくことです。